薬剤師の求人先にあがって来た訳は、法律の改正が関係してるんです。これは、治験の基準を厳しくした法律なんですよ。だから、製薬会社が、現状の人員で治験をこなすのが難しくなって、業務の一部か、全部を受託出来る会社を求め出したんです。だから、薬剤師の求人が増えてるんですよ。CROというのは、医薬品開発業務受託機関です。
薬剤師の転職なら、薬剤師の転職を扱っている便利な専門の転職サイトに登録して進めてみませんか。専門の転職サイトなら、たくさんの企業・たくさんの求人から自分の要望にあった求人を、簡単に探し出すことができます。それに専門のサイトならコンサルタントのアドバイスも期待できますよ。転職を有利に進めるためにコンサルタントの力を借りるのもいいですよね。
【関西あれこれアニバーサリー】
今では当たり前となった鉄道の冷房車は、運行開始から75年になる。日本で初めて走らせたのは、大阪・難波と和歌山をつなぐ南海電鉄だ。昭和11年、営業運転を始めたが、当時は珍しかった冷房を目当てに、多くの乗客が集まった。斬新なサービスを開始した背景には、並行して走る阪和電鉄(現・JR阪和線)との熱い集客競争があった。(藤谷茂樹)
◇
冷房車は同年7月、南海鉄道(現・南海電鉄)が列車1両に冷房装置を設置したのが始まりだ。乗客から好評だったため、翌12年には計8両に冷房装置を取り付け、難波−和歌山市駅間で、冷房特急の運行も開始した。
『南海電気鉄道百年史』には、冷房車に乗客が集中するあまり、ほかの車両よりも逆に暑かったという話も残っている。
だが、12年に日中戦争が始まるなど急速に戦時体制に移行していくなか、13年には当局から「冷房車はぜいたく、資源の無駄遣い」との指摘を受け、わずか2年という短い期間で姿を消してしまった。
冷房車という斬新なサービス。大阪南部の近代産業史を研究する大阪府泉南市の郷土史家、中村正明さん(64)は「昭和4年に開業した阪和電鉄は、南海へのライバル意識が強く、速さと乗り心地を打ち出した。スピード競争で負けてしまった南海は、サービスを重視していた」と、その背景を指摘する。
5年に天王寺駅から東和歌山(現・JR和歌山)駅まで全通した阪和電鉄がスピードを売りにしたのは、田畑が多い山手側を走るため直線も長く、高速化が可能だったからだ。8年に運行を始めた「超特急」は両駅間を45分で走り、当時の日本最速、平均時速81・6キロを記録した。
両社はレジャー需要を喚起しようと、競って沿線案内のパンフレットを作製。大阪府岬町に「淡輪遊園」を開業した南海に対抗するように、阪和は同泉南市に「砂川遊園」をつくるなど沿線の開発も進めた。
特に競争が激しかったのは、大阪市街地に近く、人気の高かった浜寺の海水浴場(堺市西区)。阪和は開業当時から、支線を伸ばして近くに阪和浜寺(現・JR東羽衣)駅を設けていたほどで、両社は夏場の乗客を奪い合っていた。
しかし、この競争は意外な形で終止符が打たれることになる。15年、南海が阪和を吸収合併したからだ。戦時体制の中、国により統合させられたのだった。
「両社の競争に、戦争が水を差した形です」と中村さん。19年には阪和が運行していた部分だけが国有化され、戦後、JR阪和線に。もし両社の競争が続いていたら、さらに画期的なサービスが生まれていたのかもしれない。
【関連記事】
「キハ101に乗ったよ」京都で加悦鉄道まつり
希望を乗せ、列車は走り出す 岩手・宮古市田老地区
東北新幹線再開 観光と経済の立て直しに
JR福知山線脱線事故6年 原因究明の報告書発表
宮沢賢治の詩碑ほぼ無傷 海岸線に対し直角に立つ
五輪参加への扉が開かれてから100年 日本スポーツ界を検証する
■学生ら「頭の切り替えできない」
東日本大震災は、被災地にある各大学の運営にも大きな影響を及ぼした。巨額の損失を出しながらようやく今年度の入学式を行った大学がある一方、開学以来初めての定員割れや、キャンパス自体を他県に移した大学も。震災から2カ月近くを経た今も、復旧への道のりはなお遠い。(宝田良平)
【フォト】段ボール教室、上履きには洗濯バサミ…被災地の新学期
◆東北大
「悲惨な悲しみの経験を胸に、未来をつくる覚悟を持ち、それぞれの専門分野で高い価値観と主体的に行動する力を身につけてほしい」。6日、各学部棟で開かれた東北大学の入学式。黙祷(もくとう)後、井上明久総長がビデオメッセージで新入生に呼び掛けた。
東北大の入学式は、2度にわたって延期され、約1カ月遅れでようやく開かれた。だが、学生ら3人が震災で亡くなっており、サークルの勧誘活動にも自粛ムードが漂う。
大学全体では計28棟が使用不能となった。中でも工学系や理学系の拠点が集まる青葉山キャンパス(仙台市青葉区)の被害が大きく、情報通信の基盤技術を研究する電子情報系など工学研究科の3棟や、理学研究科の化学棟が損壊した。修復のめどは立っておらず、長期的な影響は避けられない情勢だ。
◆石巻専修大
学内に災害ボランティアセンターが置かれている石巻専修大(宮城県石巻市)。キャンパス内には多数の宿泊用テントが設営され、復興の前線基地の一つとなっている。
石巻市の沿岸部は津波で大打撃を受けたが、内陸寄りのキャンパスにほとんど被害はなかった。ただ、新入生の追加募集中に震災が起き、定員440人に対し入学者は約350人。平成元年の開学以来、初めて新入生が定員を割り込んだ。
市街地のアパートが軒並み被災し、下宿先の確保も課題に。大学側は20日からの授業再開を控え、近隣市のホテル50室を一括で借り上げたほか、間借りできる民家をラジオを通じて募集するなど対応に追われた。
「状況は厳しいが、被災地の大学にしかできない教育がある」と坂田隆学長。すでに「地域復興プロジェクト」(仮称)を立ち上げ、理工系を中心に防災関連の研究を検討中という。
ただ「なかなか大学生活に頭を切り替えられない」との声もある。野球部員の2年、橋本和貴さん(19)は「もうすぐ大会があるが、この状況で野球をしていいのか考えてしまう」と複雑な心境をのぞかせた。
◆北里大
北里大海洋生命科学部は、岩手県大船渡市の三陸キャンパスを、相模原市に移転。6日から新年度の日程をスタートさせた。
海抜63メートルにあったキャンパス自体は津波を免れたものの、地域一帯の被害は甚大だ。「教育研究を再開できる状態ではない」として当面の撤退を決断した。
大学側は今回のキャンパス移転を「向こう5年間の措置」と説明しているが、将来的に三陸で再開する可能性については「未定」としている。
【関連記事】
・「僕の家に一緒に住んで」被災地へ豪州の少年が手紙
・NZからボランティア 大学生「今度は助ける番」
・被災学生の“疎開留学”を受け入れへ 兵庫の大学
・被災地学生が就活を再開 「地元や職種にこだわっていられない」
・被災地にある大学の学生に和歌山大「無償で授業」